その会社に所属するアスリートは、20名!
うち14名は、社員として働くパラアスリートだという。
しかも、単にパラアスリートを雇用しているだけはない。
いざ、試合があれば、会場には100名もの社員が応援に駆け付け、なおかつ、地方自治体と一緒にスポーツ振興に力を注ぐ。
そんな、スポーツに熱い会社がある。
自動車保険などを扱い、社員1万4000名を擁する、あいおいニッセイ同和損害保険だ。
「いろいろな企業さんが、ヒアリングに来るんです。どうやったら、いいかって……。でも、5年前までは、当社も、スポーツでは白紙の会社でした」
同社のスポーツ振興担当、倉田秀道さんが、熱く語り始める。
Vol.4 倉田秀道さん
写真/小野口健太
〈プロフィール〉
くらた・ひでみち/1961年、千葉県生まれ。あいおいニッセイ同和損害保険、経営企画部次長 スポーツ振興担当。スポーツ庁よりスポーツエールカンパニー認定、東京都から「スポーツ推進モデル企業認定を受けた、同社の一連の取り組みを担当。2003‐2016年は、早稲田大学スキー部監督も兼務した。また、2019年からは、ランナーの川内優輝選手と所属契約を結び、川内選手のマネジメントおよび「全国マラソンキャラバン」を展開する陣頭指揮も執っている。
社員の気持ちを
スポーツを通じてひとつに!
「あいおいニッセイ同和損保は、3つの会社が合併した会社です。全国に615の拠点があり、ともすると地域ごとに温度差が生まれがちです。それを、ひとつにまとめるのに、スポーツのチカラが必要だと思っていました。なので、まずは縁があり、2006年からスポンサーをしている、日本車いすバスケットボール連盟に話を聞いたんです」
そこで、倉田さんは、衝撃の事実を知ることになる。
「車いすのバスケの選手たちの6割が、交通事故が原因で、車いすになっていたのです」
主力商品が自動車保険、という損害保険の会社にできること……。
「つまり、交通事故で、障がいを余儀なくされた人たちの自立支援です」
こうして、障がい者スポーツを支える活動が、2014年春から始まる。
支援のはじまりは、
まずは、試合を見に行く!
「最初にやったのは、とにかく、車いすバスケの試合を見に行くことでした。当時、自分も見に行ったらガラガラで、お客さんが誰もいないんですよ。だから、これをうちの社員に見せよう、支えてゆこう、となりました」
“大会を応援に行く”というのは、確かに、敷居が高くない。
しかし、社員を集めるノウハウがあるわけではなかった。
倉田さんの、試行錯誤の日々は、最初から壁だらけだった。
「学んだのは、業務命令みたいにしても、ダメなことです。負荷をかけると、次には来る人が減ってしまいます。だから、ボランティア感覚でいいよ、遅れてきてもいい、早く帰ってもいい、と緩くしました」
「こういう会話が、欲しかった」
社長のひと言が、社員の心を動かす
倉田さんには、経営トップに、観て、感じてもらうことが必要だという思いがあった。
「いちばん最初は、社長をボッチャの試合に連れて行ったんです。この時は、80人集まりましたが、急きょ、社長との飲み会を設定することになりました。会場で声を掛けたら、30人くらい参加するとなって(笑)。若い社員を含めて、普段、社長と会えないですし、ましてや酒の席なんて……。だから、みんな手を挙げたと思うんです」
当然ながら、社長と社員が、酒を飲みながら“今日どうだった?”と盛り上がる。
「社長にも、“今日は、来てよかった。こういう会話が、欲しかったんだよな”と言ってもらえました。しかも、経営会議の後に、ボッチャの試合を応援観戦したことを話されたようで、少しずつ興味を持つ役員や社員が増えてきました。ぼくたちにとって、フォローの風が吹き始めました」
車いすバスケへの応援は、先述の通り、交通事故で障がいを余儀なくされた人たちへの、自立支援が目的で始まった。
なので、社員には、そうした意識や発想が、必要不可欠と言える。
それらが社員になかったら、実際に保険を販売する代理店には伝わらない。
代理店に伝わらなければ、当然、私たち一般人にも伝わらない。
倉田さんの最初の3年間は、社内向けに、お知らせを出し続け、大会応援に来てくれって発信し続けることになる。応援の趣旨を丁寧に宣伝し、パラスポーツを通じて大切な意義を、あの手この手で伝え続けたのである。
「そういう小まめな説明があって、はじめて、社内で浸透してゆきます。それがイコール、企業内にスポーツ文化を作ることに繋がると、社内で訴え続けました」
紆余曲折しながら、突破
継続は、採用なり!
大会応援では、必ず参加した社員からアンケートを取っている。
「次は、家族を連れてゆきたい」とか、「選手とかかわりを持ちたい」など、建設的な意見もたくさん出てきたが、応援する選手が社員にいた方が、さらに効果的ななことにも気づく。
「2、3試合見ていると、応援するチームがないと、さすがに飽きてきちゃう。それを目の当たりにし、“社員に選手がいた方がいい”となりました。そこで、2015年からパラアスリートの採用を始めることにしたのです。人事部に相談しながら対応してもらいましたが、各論になると難しいこともあるようで、担当役員に話をしたこともありました。紆余曲折ありましたが、どうにか実現したんです」
社員の選手がいることで、じわじわと大会応援も盛り上がってゆく。
2018年には、実に、27の大会応援を実施している。
活動を開始して、わずか4年での、大きな成長だ。
「全国に拠点があるので、当社の選手が出る大会を中心に、全国津々浦々、大会応援に行っています。その効果もあり、選手も強くなってきました。しかも、パラリンピックに出場したり、アジア大会に出場するようになると、マスコミにも取り上げられます。そうなると、さら社内で気にする人も増えてきます。“こんな選手もいるんだ”と、認知されてきたのです」
アンケートでの社員の意見も変化する。
「3社の合併会社なので、仕事ではなかなか一体感を感じることが少ないが、応援を通じて会社がチームだと意識するようになった」という声が出てきたという。
選手の追っかけ、出現!
社内イベントも活性化
「追っかけに近い動きも、出てきました。札幌の社員が、東京の大会に出る選手の応援を、旅行がてらに来る、なんてパターンもありましたよ」
社内で知られているのは、福岡支店のデフサッカー選手、松元卓巳さんだ。
「イケメンなんです(笑)。同じビルにいても、大会以外ではなかなか会えないから、彼と接点を持ちたいというオーダーがアンケートに書かれていました」
松元さんは、聴力に障がいがあり、手話が得意なため、月1回手話教室を開くことになったという。
「自分のスポーツのことを伝えつつ、手話教室をやる、という内容で募集をかけたら、女性がドワーッと(笑)。50~60人集まることもありますよ」
さらに、食事会付きで手話教室を開催したところ、人気に拍車がかかり、ますますファンが増えたという。
真の“共生”を目指し
障がいの有無を超える
2015年のパラアスリート採用開始から2年がたち、倉田さんたちスポーツ振興チームは、あることに気付いたという。
「障がいの有無にこだわる必要はなく、広くアスリート採用してよいはず。それこそ、共生じゃないか」
こうして新たに、水泳、女子サッカーで5名のアスリート採用を行ったという。
その内のひとりで、社内でも人気の選手が、競泳(自由形)の青木智美さんだ。
「青木選手に会いたいってオファーが、たくさん来るんです。アジア大会や世界選手権の壮行会をやると、あらゆる部署の社員が、ドワーっと集まります。意外と女性が多かったりもします(笑)。“写真撮っていいですか”、“サインもらえますか”、“会いたいです”などなど。水泳の試合はチケットが高いので、社内壮行会などで抽選会をすると、盛り上がりますね(笑)」
倉田さんたちの地道な努力が、2020年の大イベントを前に、着実に実を結んできているのである。
そして、さらに活動の輪を広げ、パラアスリートを中心に、全国地域で講演会や体験会を開く“地域貢献”にも、取り組んでいる。
社内だけでなく、地域までも、スポーツのチカラで熱く変えてゆく活動だ。
その模様は、次回、続編でお伝えしよう!