Vol. 19 佐保豊さん
(スポーツセーフティージャパン 代表理事)
〈プロフィール〉
さほ・ゆたか/1972年生まれ。米国BOC公認アスレティックトレーナー(ATC)。日本オリンピック委員会医科学強化スタッフ。男子アイスホッケー日本代表、フットサル日本代表、名古屋グランパス、サッカーチリ代表、チリプロクラブチーム(サッカー)、アナハイムマイティーダックス、西武プリンスラビッツ、日光アイスバックス、東北フリーブレイズ(アイスホッケー)でアスレティックトレーナーを歴任する。「日本のスポーツ環境をより安全に」する目的で、2007年にスポーツセーフティージャパンを設立。
これからの季節、気温が上がるにつれ、気になるのが「熱中症」。
「熱中症は、真夏ではなく、その前の季節の方が、事故のリスクが高まります」
そう語るのは、スポーツ時の安全を啓蒙するアスレティックトレーナー
「スポーツセーフティージャパン」の代表理事、佐保豊さんだ。
本格的に暑くなる前、今から準備を始めたい“暑さに慣れる”トレーニングから
最新の対処法まで、自分の身を守るアスリートはもちろん、
スポーツの指導者やイベント主催者も、必読!
「スポーツのイベント主催者や指導者は、もっと安全に配慮する必要があります。スポーツでの死亡事故の9割近くが、3つの原因と言われています。心臓疾患などの突然死、頭の怪我、そして熱中症です。これら3つの疾患は、死のリスクを伴うにもかかわらず、きちんとした対策が、スポーツの現場で十分に取られていません」
そう指摘するのは、アスレティックトレーナーの立場から、スポーツを安全に行う環境作りをサポートしてきた、スポーツセーフティージャパンの代表理事の佐保豊さんだ。
死のリスクを伴う3つの疾患を、心臓疾患のハート(H)、脳のヘッド(H)、そして熱中症のヒート(H)の頭文字から“トリプルH”と呼び、スポーツ現場への注意を促している。
“トリプルH”は、どんなに予防策を講じても、100%防ぐことは難しい。
だからこそ、最悪の事態を避ける知識の習得や、体制作りを講じる必要があると、佐保さんは、日本オリンピック委員会の医科学強化スタッフの一員としても訴えてきた。
「選手だけじゃなく、指導者やスタッフ、イベントスタッフのボランティアや警備、観客まで、全員を対象に“起こるもの”として考えるべきです」
熱中症は、気温が高くなくても、起こる
“トリプルH”のひとつ、熱中症のリスクが最も高まるのは、6月と7月。
そのための準備は、今からイメージしておくべきと、佐保さんは語る。
「日本の部活動では、夏休みに入ったとたん、急に2部練習にしたり、夕方からの練習開始を早めて暑い時間帯にしたりします。しかし、いきなりキツくするのではなく、その前に、期間をしっかり設けて、カラダを慣らす準備をしておくべきです。まず、気温に惑わされないことです。27、28℃でも、カラダが慣れていなければ、熱中症の可能性が高まります」
目安はあくまで、暑さに対して、カラダが慣れているか否かだ。
「さらに、湿度も、熱中症にかかわってきます」
人間は、汗の気化熱で体温を下げるので、湿度が高いと、汗はかけども蒸発せず、熱がこもって熱中症のリスクを上げてしまう。高温多湿な日本では、湿度にも気を配るべきだと、佐保さんは注意を促す。
「カラダの中で一番大事な臓器は、脳です。脳を守るため、汗をかき、毛細血管を拡張して暑さを逃がし、“平熱を保つシステム”がカラダに備わっています。しかし、暑さを逃がすペースが追い付かず、平熱を保つのが難しくなると、脂汗が出たり、心拍数が上がったり、オーバーヒート気味になってしまいます」
この状態が、つまり“熱中症”なのだ。
熱中症を悪化させると、命の危機も……
「熱中症は、平熱を保つシステムを使おうと、脳が努力している状態です。でも、それがキープできなくなると、危険度のレベルが上がり“熱疲労”に進行します」
“熱疲労”では、より血管が拡張し、血圧が下がることで顔が青ざめ、気分が悪くなって、いわゆる貧血と同じような状態になるという。
「汗がダラダラ流れて脱水症状になり、筋肉がつって“熱けいれん”を起こしたりします。しかし、まだ脳によるコントロールができているので、早めに手当てをすれば、快復できる状態です。さらに“熱疲労”が進行すると、脳が平熱を保つシステムを制御できなくなります。体温の上昇が抑えられなくなり、かなりの確率で死に至る“熱射病”になります。熱中症では、人間がまだ平熱を保つシステムが残っていますが、熱射病になってしまうと、人間の体温コントロール機能は破綻します」
熱射病が“トリプルH”に数えられるのは、熱の上昇が止められず、一番大切な臓器である“脳”を、深刻な危機へと至らしめるからなのだ。
熱中症の対策は、水分補給+体温コントロール!
「熱中症を防ぐために大切なのは、水分補給、そして体温コントロールです」
運動前から水分やミネラルを早めに摂ることは、今や常識だ。
「運動前の30分~1時間の間に、運動量にもよりますが500ml飲むなど、カラダに水分を貯めた状態で運動できれば、パフォーマンスも下がりません。脱水症状は、持久力や判断力が落ちるとも言われているので、運動が始まったら、10~15分ごとにコップ1杯分を目安に補給します。休憩時にカラダを冷やし、冷たい飲み物を飲むことで、ある程度の体温コントロールが可能です。また、首やわきの下、鼠径(そけい)部などの動脈を氷袋などで冷やすことや、霧吹きと扇風機などで気化熱として奪う方法も、予防や、運動中の対策として、ある程度有効です。しかし、本当に体温が上がってしまうと、あまり効果がありません」
クーラーボックスに市販の氷を1、2袋用意するだけでは、全く足りていないという。
最近では、「手先を冷やす」方法も広まってきた。
「アメリカ軍の研究ですが、肘から手先まで、氷水に1、2分漬けるだけでも、ある程度は体温を下げる効果があるそうです。アメリカンフットボールの試合では、手だけ冷やすデバイスが使われるようになってきましたね」
しかし、それでも熱中症対策として、十分ではないと佐保さんは語る。
氷水の入ったバスタブに、全身を漬けて、ガンガン冷やせ!
「自分で体温がコントロールできない熱射病では、1分間に0.2℃の速さで、安全圏である38℃台に体温を下げることが有効と言われています。そのためには、全身をバスタブなどに入れ、氷水に浸す方法が、ダントツにスピードが速く、確実です」
全身を氷水に漬ける際に重要なのは、安全を確保した上で、氷水に流れを作ることだという。
「カラダの周りの水が、体温で温まるのを防ぎながら、効率よく冷やします。もし、氷がなければ、水でも構いません。バスタブがなければ、ブルーシートのような防水のシートを使いましょう。シートの端を5~6人で持ち上げ、氷水を入れて、水に顔が漬からないよう安全を保って、シートごと揺すってカラダを冷やします。アメリカでは、“クール、ファースト。トランスポート、セカンド”と言われています。救急車が来る前、倒れてから30分以内に、体温を38℃台に戻すのが、緊急時にはとても重要なのです」
熱射病となる39℃以上の高熱で、長時間放置することは、生命の危機を意味する。
「運動する方自身はもちろん、イベント主催者や部活の顧問の方も、充分な氷の用意と、全身を冷やす道具を確保しておくのが責任だと言えます」
高温多湿な日本の夏こそ、こうした備えがスタンダードになるべきだと、佐保さんは語る。
熱中症予防トレーニング=「暑熱順化(しょねつじゅんか)」
「暑さに慣れるトレーニングを、暑熱順化と言います。暑熱順化は、屋外だったり、防具をつけたりなど、競技にもよって環境が異なりますが、5月に入ったら準備をはじめた方が良いでしょう」
暑熱順化は、期間を設定し、暑さに慣れる目的でトレーニングの負荷を下げ、汗を十分にかくトレーニングだ。
「気温や湿度が高くなってきたら、10日~2週間ほど、暑熱順化の期間を設定します。この期間は、トレーニング負荷をあまり高くせず、徐々にカラダを暑さに慣らしてゆきます。心拍数をあまり上げない技術的なトレーニングや、負荷の低い練習から徐々に負荷や時間を増やすべく、競技にあった形で行います」
頻度は、日数を減らすより、あえて普段通り行うのが良いという。もちろん水分補給をしつつ、こまめに汗をかくようにして、暑さにカラダを慣らしてゆく。
「ランニングやジョギングのペースや距離は、個人でコントロールできると思います。梅雨の晴れ間に、たくさん走りたい気持ちは理解できますが、自分で決めた暑熱順化の期間は、時間帯を変えたり、負荷が高くても時間や距離を縮めたり、長い距離でもペースを遅くしたりすべきです」
次回は、暑熱順化を上手く行うための、手間も、お金もかけない、体調チェック法を紹介!